同窓生ブログ

生誕10000日を迎えました。その10

この頃になると、地上波のテレビはコンテンツとしての力が弱まっているような機運の高まりが感じられるようになり(とは言っても一時期ほどの絶対的な力が薄れた程度ではあるが)、元々2010年代から存在したらしい「ニコニコ動画」を始めとする動画サイトにコンテンツとしての機能が推移していった時期であった。なお私自身は大学でOfficeツールによりレポートの提出が必須となる大学2年時まではWindowsに触れておらず、家庭ではMacのPCでiTunesによって音楽を聴いたりインディーズのゲームをプレイしたりするような用途でしか使用していなかったのである。自身が中高生である時分に流行っていたらしい「ニコニコ動画」の文化については、大学に入ってサークルの先輩方からノリで学んでいった形である。
先に述べた通り動画サイトのYoutubeを頻繁に視聴していたのだが、当時のYoutubeでは楽曲以外にも「ゲーム実況」というジャンルの動画が投稿されていたのも特徴的であった。一昔前に人気を博していた「東方」のキャラクターの首から上のみにして簡略的なモーションを一通りライブラリに揃えているナビゲーターに解説をさせる動画も多く、これらは挨拶として決まり文句になっていた「ゆっくりしていってね!!!」というフレーズからその名がついたとされる「ゆっくり解説」なども挙げられる。
私がこの頃に視聴していたのは、動画内ではキャラクターに会話をさせてゲームをプレイする様子を見せる配信者「たくっち」「ぽこにゃん」等の方々である。ゲームの種類としては、アクションゲームのステージを自分で作成できる「マリオメーカー」や、仮想空間でのやや原始的な生活を体感できるPCゲームの「マインクラフト」等が挙げられる。他にも携帯のアプリゲームや当時に発売したものなど注目度の高いゲームがジャンル問わずに紹介されていて、とても面白いコンテンツであった。
もう一つあったのは、ニンテンドーDSの上位機種である「ニンテンドー3DS」の本体に内蔵されていた「うごくメモ帳」を用いて、お笑い芸人のネタのアテレコを棒人間や任天堂のキャラクターに再現させる(ニコニコ動画からの流れで、マクドナルドのマスコットキャラクターであるドナルドの姿も変わり種としてかあった)紙芝居のような動画が流行していた。主なネタ元の芸人は「陣内智則」「超新塾」「浅越ゴエ」などの、文字情報がメインとなるネタやギャグが多かった。
生活の中では、先に述べた楽曲垂れ流し動画をレポート作成と同時進行で視聴しているのに対して、ゲーム実況の配信は寝る前や余暇の空き時間が費やされるケースが多かった。元来、休日でも朝は7時には覚醒していて日中でも問題なく活動出来ていた私であったが、大学生の頃から朝が遅くなり、また昼食後の講義中に睡魔に襲われるケースが増えてきたような気がするが、恐らくはYoutube視聴の習慣による生活リズムの乱れが原因なのかもしれない。

2014年7月23日、私は数え年で20歳を迎えた。
この日は平日であり、前期の講義テストが目前の時期でもあり普通に講義に出席するのみで終わる予定であったのだが、青山キャンパスでは落語研究会の部室に頻繁に集まっていたメンバーで食事をしている(何か決定事項もあったかもしれないが、詳細は覚えていない)そうで、18時頃に同期の部員から電話がかかってきた。「特に用があった訳ではないが、暇だったらどう?」くらいのノリである。家族から誕生日の祝いを受けるかもしれないとも考えたが、呼ばれているなら行くくらいのノリで渋谷へ向かっていた。
現地では、何のこともなく普段からよく行っていた居酒屋で6人くらいが集まってダラダラと話すだけで誕生日であった事については簡単にしか祝われないのだが、やはり青春の1ページとして語るには不足ない1日を過ごせたと言えよう。個人的には変に特別扱いされるのもやや苦手な性分である事もあるので。

TVの話については、この頃は広い分野に関心が出ていた関係もあって「タモリ俱楽部」を視聴するようになっていた。週に1度、主に世間的には決してメジャーとは言えない細かいジャンルの専門家・好事家を招いて見識を深める特集を行う番組である。
この番組の中でほぼ必ず行われるコーナーとして「空耳アワー」というものがある。これは、日本製でない楽曲の一部分を聴いて、日本語でどう聴こえるかを視聴者がハガキで投稿、それに合わせて番組が映像を作成するコーナーであった。私は投稿こそした事はないが、父親の趣味であった「ビージーズ」「Jackson Brown」や高校の時分より自ら聴いていた洋バンドの曲が頻繁に取り上げられ、元々の楽曲のイメージが壊されていく感覚を楽しんでいた。時折、チェアマンのタモリ氏が原曲の意味や背景についても触れる事があり、意外と知らない見識も得られるのがタメになった。

2014年の11月頃であろうか。自宅に1通の往復はがきが届いた。それは、東京都市大学付属高等学校第60期生の、同期会の案内はがきであった。
当時の呼称は「成人の祝い」。後に聞いたところによると、これまで還暦を祝う会は毎年行われていた一方で成人の同期会は当代で初めて行われたらしく、また成人を迎える代が単独で同窓会のイベントとして会を行うケースは今のところ唯一であるそうだ。
当時、幹事として動いていたのは高1時に同じクラスであったが文系を選択した関係で以降は別クラスとなっていた同期であった。この男とはとりたてて親交が深い訳ではないが、何か奇妙な縁がある故か都内を電車で移動していると結構な頻度で出くわしたりするのである。
会そのものは2時間ほどしか行われていなかったようだが、学年に240名が在籍していたうち半数以上(正確な人数は覚えていない。なお別の高校を受験する等で中退をした人物の姿も見られた)が参加していた事もあって非常に濃い時間を過ごす事ができた。印象的な出来事としては、先輩の率いる社会人バンドによる演奏と床にこぼした氷を踏んで砕いた件であろうか。
最も印象的であったのは、出席していたとある同級生が当時は成人の年齢を迎えていなかったのだが、法令を遵守してアルコールを一滴も摂取していなかった件であろう。在学中にクラスの担任であり同期会に同席していた先生をして「芸能人としての覚悟」を示した態度を見た私は「自分には到底できる事ではない」と芸能人にかかる重圧と責任について深い感慨を得たのである。

2年間の講義が全て終わり、2年後期分の成績が3月初めに開示されると、一つも不合格とはならずに無事に3年次への進級が決まったのだ。余談ではあるが、2年前期は講義科目が多く履修単位数が34に上っていたが、その時も不合格の単位が無かった際には非常に安堵したものである。2年間で一度も単位を落とすことなく、累計の取得単位数は103に及んでいた。
問題点としては、フル単ではありながら「可」に該当するCの評定も多く、俗に言う「GPA」が今一つ高くない状況であった。後に分かる事であるが、3年前期までの同学年での順位は42位であったそうである。もう一つは、学部で共通の数学系科目と学科の専門科目を多く取得していた一方で大学共通となる教養科目である「青スタ」が殆ど取れておらず、その中で特に主要となる「教養コア」たる科目を4つのうち3つ取ったのみであり、それらを細分化した選択科目を全く履修できなかったのである。
この事を踏まえ、3年時は半期ごとに3科目ずつは青スタの科目を履修していき、学科の専門科目は少し抑えていく方針となった。
 

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