同窓生ブログ

生誕10000日を迎えました。その2

約2年3カ月にわたる受験勉強の果て、志望度の高い武蔵工業大学付属中学校(以下「ムサコー」)への入学を果たした私。
しかし、中学受験を補欠でこそあれ乗り越えた安堵感と、それまで遊べなかった事により抑圧されていた私自身の娯楽欲が抑えきれず、最初のおよそ半年はほぼコンピュータゲームに明け暮れる日々であった。

中学1年生で人生で初めてとなる「中間試験」、「期末試験」を受ける事になるのだが、前述した通りの体たらくで勉強には全く身が入っておらず、試験の成績は当時在籍していた240名のうち下から20位くらいの順位となり、1学期を通じての評点に至っては240位/240人と、学年の最下位となってしまっていた。
通知表を見た母親が叱るわけではなく珍しい物をみたような反応であった事も印象に残っている。後に少しずつ回復しておおよそ180位くらいまで浮上していくのはまた別の話。

ところで、ムサコーにおいては学年ごとに「学年主任」1名と各クラスの「主担任」によって「担任団」が形成されるのだが、当時(中学1,2年時)の私のクラス担任と、在学中6年間通しで学年主任を務める事になる先生には、極めて手厚いケアをしていただいた。
この場を借りて、改めて御礼申し上げたい。

1学期の終業式が終わって間もなく、「林間学校」が行われた。3泊4日だったのだが、それまでの人生で2泊3日より長く家を空けたことが無かった筆者にとっては新鮮な感覚があった。
この時、、実は行先さえも今となってはまともに覚えていない(長野県菅平だったか?)のだが、、印象的な出来事としては、旅行中の4日間のうち3日目に誕生日(13歳)を迎える事になるのだが、それを旅行中にはすっかり忘れていた折の出来事であった。大部屋で8人くらいが一斉に睡眠を取るのだが、寝る前に友人同士のノリで授業で覚えたての英語で半ばふざけて会話をしていた時である。
友人A “What’s your name? “
友人B “My name is 〇〇.”
友人A,B “ウェ~~イ!ww”
友人A “How are you old? (私に対して)“
私「(!)そうだ! 今日は俺の誕生日じゃん!!」
友人A,B 「マジで!? おめでとう!! ウェ~~イ!ww」
、、という具合で、自身の誕生日である事に気づいたのが当日の21時頃になった事が印象的な出来事となった。

ムサコーライフを語る上でまず外せないのは、やはり「柏苑祭」であろう。正しい読みである「はくえんさい」では間違いなく変換ができず辞書登録を余儀なくされる名前の文化祭であるが、在校生のほぼ全員にとって勉学以外に全身全霊を捧げられる最良の空間といえよう。
初めて「柏苑祭」に私が登場したのは小学6年生、つまり入学前の最後の年になるのだが、そこで私は数多くの展示を見学させていただいた。その中でも「マルチメディア研究部」における自作のPCゲームに感銘を受け、「ムサコーを第一志望としよう」と決める大きな決め手となったのである。
現役生として初参加となった中学1年時は「3学年合同展示」に参加したのだが、出展に関してはほぼ先輩に叱られた記憶しか残っておらず、いい思い出はさほど残っていない。私個人としてではないが、学校の備品である学習机をハプニングで破損してしまうアクシデントに対して、当時中学3年生のクラス担任であった先生に「人任せにしてんじゃねぇよ!!」と怒鳴られたりもした。一方で吹奏楽部による演奏や「エレクトロニクス研究部」による展示、校内BGMとしてHapiness(嵐)や小さな恋のうた(DragonAsh)が流れていた事などは良き思い出として残っている。

中学2年生になり、クラスの顔触れが大きく変わる(当時は1年に1度のペースで担任と生徒が入れ替わっていた)のだが、結果として学年の中でも授業態度の良くないクラスとなっており、この1年間は授業を担当した先生の大半の逆鱗に触れる事となったのが印象的であった。

この頃の趣味の方について特筆すべきは、やはりビデオゲームとテレビについてだろう。
我が家庭ではこの頃NintendoDSを購入しており(最終的に合計4台。うち一台は祖父へのプレゼント)、マリオやカービィ等の任天堂ソフトを中心に様々なソフトをプレイしていた。中でも「だれでもアソビ大全」というソフトには多数のテーブルゲームが収録されており、後に生涯の趣味となるボードゲームの基礎的な知識の礎となったと感じている。
特に印象的なソフトは「おいでよどうぶつの森」。購入をしたのは2007年頃だったはずだが、本体の日付をわざと1年遅れた設定にして起動した上で、プレイの密度を高めて徐々に追いつくムーブを行った事を覚えている。
地上波のテレビ番組では、2000年代後半からお笑い芸人の多く出演する番組が増えていた。ネタ披露番組はそれまで「爆笑オンエアバトル」「エンタの神様」の2つが主であったが、「爆笑レッドカーペット」「ドリームマッチ」「あらびき団」等が新たに始まった。バラエティ番組についても、「めちゃイケ」「はねるのトびら」「ロンドンハーツ」のように、メインの出演者が芸人である番組の比重が高まっていた。他方では、「ネプリーグ」「Qさま」「ジャポニカロゴス」「ヘキサゴン」「IQサプリ」のようなクイズ番組も良く視聴しており、お茶の間の話題の大半をテレビが彩っていたといっても過言ではなかろう。
ビデオゲーム以外では、家庭でのオンライン環境が安定したのをきっかけにPCでインターネットに接続する習慣が定着したのもこの頃であった。前述したゲーム(特に「おい森」)の攻略掲示板には多大な助力を頂いた一方、私自身もプレイデータや花の交配といった検証結果レポートを投稿・追記した。
とりわけ私はインターネット掲示板の「2ch」(現「5ちゃんねる」)の閲覧を盛んに行っていた。2chでは話題のテーマ毎に「板」なるものが存在しているのだが、私は専らビデオゲームやテレビ関連の板に「生息」していた。昨今では特に取り沙汰されて問題になっている「ネットリテラシー」の概念だが、当時中学生の私はあまりそれを持ち合わせておらず、画面を隔てた相手と口喧嘩に発展する事も何度かあった。それらの出来事は後に、今の私のSNSの利用スタイルに活かされる事になる。

同級生について実名を伏せた上で少し触れると、名字が学年通しで自分の後ろにいた男とはそこそこ仲が良かった。家が近所であり、一度だけだが近くのデパートで偶然エンカウントした事もある。恰幅の良くサッカー部で活躍しており、風の便りによると都内でそれなりに優秀な公立大学へ現役で進学したという。
また交友はさほど深くなかったが、小学校が唯一同じであった男は、ポケモンに傾倒していた。彼は校則で禁止されているにも関わらず校内にゲーム機を持ち込んでおり、自身が授業を別教室で受けていたタイミングで彼の席からDS本体を偶然見つけられて本人が知らないまま没収された現場では失笑を禁じえなかった。
その他に印象に残っている同級生としては、およそ以下の通りだろうか。
・怒りのあまり自習の時間に教室の壁に絵の具で落書きをした男
・放課後に悪戯で黒板消しクリーナーに水を大量に注いだ男
・校舎のベランダに閉じ込められて怒り、扉を蹴飛ばして鍵ごと破壊した男
・ライトノベルを愛読しており、黒板一面に「撲殺天使ドクロちゃん」の絵を描いた男
・昭和レトロを愛して十八番は「リンゴの唄/並木路子」、単語帳の例文をほぼ覚えた男
・机の周りが異様に散らかる男(名字をとって通称「〇〇ワールド」)
・文化部(将棋部だったか?)でありながら怪力の持ち主で趣味が手品の男
etc.. と、法律に触れないエピソードに限ってもこの濃さである。これらの交友関係、ひいては生活環境に身を置いた6年間が後の人生に如何程の影響を及ぼしたかは計り知れないのは言うまでもないであろう。他クラスの黒板を消すために学年中の全クラスの時間割を把握しきった私の言えた義理ではないのだろうが。

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